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こころないてんし
2009-11-06 Fri 23:15
長くなるので結論から三行で


いいな

いいな

人間ていいな


これを以下長々と列挙していくので興味ある人以外ここでブラウザバック推奨

それとコメント返信すいませんがもうしばらくお待ちください

必ず行いますし、目を通させてもらってますし励みになっております





髪を切りに行っていたんだけど

服についた僅かな髪の残骸を払っていたら

それはもう見事に真っ白なのが一本あった

頭では解っているつもりなんだ

もう三十路手前だ、そういうものが出てくる年齢だろう

反面いつまでも少年少女の心でありたい気持ちが

言い表せない衝撃を受ける

そうやっていつしか少しずつ慣れて行く

我が身にいずれ確実に訪れる死という事柄を

受け入れる準備が進んで行く

心が、精神が、意識が

肉体を支配しているなんてのは、酷い嘘っぱちだとこういう時切に思う

肉体の、周囲の変化に

いつだって慌てふためいて縋り付くのが精一杯のクセに

長い時間を掛けて漸く受け入れた事実を

さも最初からそうだったように演技している

虚栄に必死になるプライドの高さ

不老や不死に憧れが絶えないのは

制御出来ない肉体を制御したいという現われなんだろうか

肉体は割りと有りの侭に生きていると思う

空腹を感じれば

眠気を感じれば

性欲を感じれば

さも全て主体的に自らが選んだと増長する精神に

適当に解消させているように見える

本能的なことは肉体だけでも賄える行為のように思えるが

文化的なことは全て精神に賄わせているように感じる

その器用な使い分けが出来るから

木登り一つ満足に出来ないクセに現在の繁栄あるサルなんだろう

空腹を感じれば

素材を調理して食べ物の文化に

眠気を感じれば

寝床を作成して睡眠の文化に

性欲を感じれば

発情期そのものを破壊して性行為を文化に

器用に肉体と混じり合っている精神は恐らく

対人行動、集団行動の為に特化した特殊な能力なんだろうと思う

ではその精神や意識や心は一体どこに在るのか

今床に大量に散っている黒い私の一部にはないのか

在るとしたらいま私はそこにある分の心を失っているのか

それとも破片には宿らぬものか

そんな事は決してないはずだ

子供の頃、父親と色んな地域を見て回っていた時期がある

地図を見せながら、私が普段どこにいて、今どこにいるのか

楽しそうに解説してくれたが、残念ながらほぼ覚えていない

その時期に、裏寂れた神社で

八の字に結ばれた長い髪と爪が

ひっそりと置かれているのを見た

当時なんだったかなんて理解出来なかったし

実のところ今になったってそれがなんなのかなんて解りはしない

だけど、幼心にそれはとても悪いものな気がして

必死にその場から離れたのをよく覚えている

膨大な負の感情が撒き散らされていたように思う

心を念じて我が身の破片で模る

そうすれば確かにそこには宿る

非科学的だと笑われるかもしれないが

精神には、うまく言の葉で説明出来ない ナニカ があるように思う

それに期待して肉体は一日18時間程度

主体的な行動を意識に譲っているように思える



永遠なのか 本当か時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらないそんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう


情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方


先ほどの八の字髪の毛の話に戻す

アレがもし、今現在にも存在するとしたら

当時ほどではないにせよ、恐らく今でも負の感情を撒き散らしているだろう

しかし

アレを作った本人はそうでない可能性もある

今頃は明るく笑い合える誰かと共にあるのかもしれない

破片は恐らく、心の一部の、一極しか持てず、

破片となったその瞬間から変更の効かないもので

更には成分補給すらままならない孤独なものなのだろう

時は確かに流れ、年々劣化していくにも関わらず己を変えれない

生きているとは言いがたいが、確かに其処に在る心なのだろう

肉体の移り変わりが、関係する周囲の移り変わりが

破片ではない心を変えて行くのだろうと考える


心か意識か精神かは置いておいて

ソレの特色としては感情が挙げられる

喜怒哀楽に代表される正と負の感情

楽しいときや嬉しいとき

重力があるにも関わらず、上を向いて歩ける

苦痛でないどころか、そうあって当然であるかのように身も軽い

悲しいときや辛いとき

重力に後押しされるかのように下を向いて歩ける

物理的な損傷もないのに痛み、重みを感じて億劫になる

世界の宗教や道徳や言葉は永遠に統一されないだろうが

地の底に地獄があり

天の上に極楽浄土があるという考え方が全国共通なのは

これらと無関係ではないだろう

思うに肉体の一部に宿らずに

消えて行く心の

正の部分は上の方へ

負の部分は下の方へ

向かっていくのだろう

それらがソコでどうなるのかは、正直なところ想像もつかない

ただ、どちら側であれ、余りシアワセなものではないように感じる

例えソレが正の側であったとしても

我々はみな、単純な一つだけの感情で構成されてはいない

泣き笑い、嬉し恥ずかしなど、基本的に絡み合って心を構成していく

負を昇華させて正とする場合も多い

逆もまた然り

しかし、何度も例に挙げるが八の字の髪の毛のように

一度離れたものは変更が効かないと思われるのだ

それとも同じ感情同士で寄せ集まって

より上へ より下へを繰り返しているのだろうか

そうやって変化している内に上が下へ

下が上へ移行したりしているのなら

基本的に物質が世界中を形を変えて

駆け巡っているのと同じようなものなんだろう


禅問答っておもしろいよな




僕がかつて小僧の頃 イメージした壮大な
人生プランからは多少見劣りはする
案外普通だし 常識的な これまでだ
それはそれなりに そう悪くはないのさ

そのプランなら 今頃じゃ マイケル的生活で
世界をまたにかけて いたはずなんだけれど
現実はすまし顔で クルクル時計を回す
そっちがその気ならと好きな事してきたし

それとなく流れていく日々のそこかしこに
君がいて 次々と溢れる気持ちを胸に

幸せについて本気出して考えてみたら
いつでも同じ所に行きつくのさ
君も幸せについて考えてみてよ
後で答え合せしよう 少しはあってるかなぁ?

つまんない事 嬉しい事 繰り返して結局
トータルで半分になるってよく聞くじゃない?
そんな淋しい事 言うなよって感じだ どうにか
勝ち越してみたい 密かに全勝狙い

誰だってそれなりに人生を頑張ってる
時々はその"それなり"さえも誉めてほしい

幸せについて本気出して考えてみたら
意外になくはないんだと気が付いた
僕は幸せに対して失礼だったみたい
もう一度丁寧に感じて 拾って集めてみよう

がっかりしたかい 小僧の僕 マイケルにはなれなかった
ただ僕は大好きな幸せの種を手に入れた

幸せについて本気出して考えてみたら
いつでも同じ所に行きつくのさ
君も幸せについて考えてみてよ
僕の姿は浮かんでる?いつまでも消えないように

本能の代わりに進化させた理知が売りの人類さんですが

論理的に効率的に物事を遂行する能力の結果

共に狩りして共に行動する集団から

いろんなものを分かち合う仲間になり

流れを時間で統一し

意味を言語で統一し

価値を貨幣で統一し

頂点を宗教で統一し

結果として本能に生きる場合まず振り回されていないであろう

過去と現在と未来に翻弄されている訳です

暑くなったり寒くなったり、

明るくなったり暗くなったりするのに合わせて作った

論理と効率の結晶、時間という名の小道具さん

明日明後日の事を考えて効率よく予定を立てていく

仲間内の調整をして、一週間、一ヶ月、一年の予定を立てていく

全体の意味は言語で統一してあるので

各人に割り当てを行いやすく、人海戦術も容易

価値を貨幣で統一してあるので報酬もまた容易

頂点は神様達で統一してあるので、人間の頭目も容易に決めれる

そういうのが生活に向けられている間は平和でいいんですが

他集団がある以上、甲乙を付ける為に争いとなってしまうのが

非常に大きな難点でもあり

論理的に効率的に犯罪行為全般をも突き詰めてしまうのが

最大の欠点であると思います

利便性の表裏なので、騙し騙しやっていくしかないのが恐ろしい所なのですが

そういったものを捨ててしまおう

考えてしまう事で雁字搦めになっている

頭でっかちになっても仕方ないよ

生き死にはものの哀れであり、人の道だとか仏の道だとかじゃないんじゃね

どこまでいってもいつになっても

およそこの世のあらゆるものはあるとも言えないしないとも言えない

不安定で不確実なものに過ぎないんだ

それを在ると強く叫び続けて安定して確実なものと思いこんでるだけに過ぎない


本人にとっての生まれる前である過去

本人にとっての今この瞬間である現在

本人にとっての至れる真実である未来

そういう前提を根底から覆すものであり

事ある毎に歯止めを外そうとする理知の歯止めとして

必要な問答かなぁと

あんまり考えないようにしてる部分に感覚で切り込む世界なのかなあと

管理人のような悲観論者で皮肉屋によく見られる

この世に絶対はない

というこれ以上無いくらい端的で見事な

一行矛盾をはらんだものって訳でもないんですよね

あるともいえない、ないともいえない

逃げ口上や誤魔化しに聞こえるかもしれませんが

事実と真実に真っ直ぐ向き合ってると言えなくもない

悟りってのは論理や効率の極致や結論ではなく

在るが如く在るが侭に受け入れて、

その最果てにある一つの納得の方向なのかなと考えたり

詰まるところ、探して求めてかけずり回って

いよいよ人生の終着になってもたどり着けずに

生まれ落ちた所に戻ってみればそこにありましたという

チルチルミチルの青い鳥的な話なんじゃないかなとか


楽園は南に在る

らくえんは みな みにある


有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け



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